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わたしのファミリービジネス物語

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地元に根ざして、自らの力を磨くファミリービジネスの経営者や後継者、起業家の方々を紹介していきます。波瀾(はらん)万丈の物語には、困難を乗り越える多くのヒントが詰まっています。
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#ファミリービジネス物語

奥三河の下請けプラスチック会社が「デザイン×ものづくり」の会社になるまで

愛知県新城市の「本多プラス」の本多孝充社長は、父親から引き継いだプラスチック成形会社を、「デザイン×ものづくり」の会社へと変貌させました。アートという「自分の好きなこと」を軸に会社を作り替え、コスメペン「ハイテックC リッシュ」や携帯用「アジパンダ」のようなデザイン性の高い製品で、下請けの多いプラスチック業界に新風を巻き起こしてきた本多さん。「きれいなものをつくりたい」。そんな思いに突き動かされるアートな経営者の歩みを追いかけます。 「でかい仕事をしろ」。伯父がくれた一生に

起業志望の青年が農業を「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3Kにするまで

湘南・藤沢の地に、農業をこれまでの「きつい・きたない・危険」の3Kから、「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3Kにしたいと奮闘している家業経営者がいます。みやじ豚社長の宮治勇輔さんは、父昌義さんから事業を引き継ぎ、弟大輔さんとともに養豚業を営んでいます。宮治さんは養豚業を法人化し、ミシュランの星付きレストランで、みやじ豚を使ったメニューとして提供されるほどのブランド豚に育て上げました。そんな宮治さんの挑戦の記録を報告します。 学びの日々…「起業家になりたい」湘南の海か

社長解任!?非情な父親に突き落とされたアトツギが再び会社を継ぐまで

北欧風のカラフルな布草履「MERI(メリ)」を製造・販売する東京・墨田の「オレンジトーキョー」。創業者の小高集(つどい)さんは、終戦間もなく創業した「小高莫大小工業」の後継ぎでしたが、父親との対立で会社を追われ、「ムリヤリ第二創業」の道を歩んできました。小高さんがまず挑んだのは、顧客ニーズに基づかず、自社の論理で製品を作ってしまう「プロダクトアウト」からの脱却。その苦闘を描きます。 小高さんの自己紹介はこんなふうに始まる。 ビジネススーツの生地のように伸縮しない織物に対し

脱サラ社員が「前掛け」で繊維業界のオンリーワンになるまで

人気映画シリーズ「007」の最新作に、日本伝統の前掛けが衣装として使われていることに気づいただろうか。この前掛けを作ったのは、大手菓子メーカーの営業マンだった西村和弘さんが脱サラして起業した前掛け専門店「エニシング」(東京都小金井市)。Tシャツの企画販売からスタートした西村さんが、市場規模が大きいとは言えない前掛けに目を向けたのは、なぜだったのか。その歩みを追いかけます。 ◆海外から大量注文のナゼ2021年10月、エニシングのもとに海外から大量の注文が入り始めた。米国、フラ

近所のお豆腐屋さんを継いだヤンチャな「婿殿」がSDGsに目覚めるまで

茨城県取手市を本拠地に、お豆腐を製造・販売する「染野屋」は、江戸時代末期の文久2(1862)年に創業し、160年近い歴史を誇る老舗です。八代目「染野屋半次郎」を襲名した社長の小野篤人さんは、実はお婿さん。結婚するまでお豆腐屋さんを継ぐなんて、考えたこともありませんでした。 ありふれた「近所のお豆腐屋さん」を飛躍させ、今では大豆ミートの販売や大豆の有機栽培、地域の豆腐店の事業承継へと、どんどんフロンティアをひらいていく小野さんの物語です。 ◆自由と自立「一国一城のあるじ」にな

「のびのびと健やかなリーダーに」夫と歩む二人三脚経営【第三話】

歯ブラシなど口腔(こうくう)ケア製品を中心に、ユニークな商品を世に送り出す東京都品川区の「ファイン」を経営する清水直子さん。長く続いた迷いの時期を抜け出し、「のびのびと健やかな社長」という自分だけのスタイルを築きます。そして生涯のパートナーに出会い、今度は次世代に会社を引き継ごうとしています。 「会社の愛し方」が分からなくて苦しんだ取締役としての約10年間。「笑顔が仕事」と割り切ったことで、むしろ会社の隅々にまで目が届くようになった副社長の4年間。 そうした経験を経て、2

「会社の愛し方が分からない」トンネルの先に見えた光【第二話】

歯ブラシなど口腔(こうくう)ケア製品を中心に、ユニークな商品を世に送り出す東京都品川区の「ファイン」。父が亡くなり、社長となった母とともに会社を経営することになった清水直子さんでしたが、不安と焦りが先に立ち、やることなすこと、うまくいきません。「会社の愛し方が分からない」。そんな泥沼から、はい出すまでの物語です。 「ちゃんとしないと会社は3年で潰れるぞ」。1995年、父益男さんの葬儀で、参列者にかけられた言葉が胸に突き刺さった。親切心だったのだろうが、葬儀に政界関係者を一人

会社を継ぐのは「三女の私」? 父の死とめぐる運命【第一話】

竹からできた生分解性樹脂の歯ブラシに、幼児やお年寄りでも使いやすいユニバーサルデザインのコップ。ユニークな商品を世に送り出す東京都品川区の「ファイン」の清水直子社長は、何年も「自分は経営者になれるのかな」と悩みました。思ってもみない事態の積み重ねで自分に巡ってきた後継者という仕事。清水さんは壁をどう乗り越え、自分だけの経営スタイルをつかんだのでしょう。その歩みを追いかけます。 「はい、ファインでございます」。小学校の頃から、自宅に引かれた会社の電話を取るのが日課だった。

「ビューティアトリエはもう美容室じゃない!」人材を育てる事業展開で「強くて温かい組織」をつくろう【第四話】

宇都宮市を中心に美容室やエステサロンを展開してきたビューティアトリエのグループ代表、郡司成江さんは「しあわせ創造企業」というビジョンを掲げ、近年、カルチャースクールやコミュニティースペース、スイーツ、農業、海外へと事業領域を拡大させています。 それを支えるのは、会社の屋台骨となる右腕人材をはじめ、社員たちの潜在力を生かす人材育成。「強くて温かい組織」づくりを目指す郡司さんの挑戦です。 社員が輝くから会社も輝く 「ビューティアトリエの一番商品は社員です」。2010年、46歳

「経営者はわたし」厳格な母との対立が教えてくれたこと【第三話】

「ビューティアトリエの一番商品は社員たち」。宇都宮市を中心に美容室やエステサロンを展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さんは1996年、自らが美容師として店に立つことはやめ、経営者としての力を磨いていく決心をします。そう思い至った郡司さんでしたが、人材育成の方針を巡って、創業者である母親との対立を経験します。 自分の仕事は「社員を輝かせること」 英国留学やパリコレでの経験を積み重ね、自分の腕で「ビューティアトリエを引っぱっていこう」と考えていた20代の頃の郡司

「あんたなんて大嫌い」から始まった跡取り娘の修業時代【第二話】

「一番大変なところに戻りなさい」。宇都宮市を中心に美容室やエステサロンを展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さんは1989年、楽しいことばかりだった英国留学を終えて帰国を決めます。恩師の言葉に従い、郡司さんが向かったのは、母親が経営する実家の美容室。後継ぎとしての苦闘が始まります。 一番大事で一番大変な実家へ 「一流のヘアメークになる」。その夢をかなえるため、英国ロンドンに渡って2年半。有名美容室ヴィダルサスーンの美容師養成学校で学んだ後、現地のヘアサロンで働

ビジョンと社員をつなぐ!強くて温かい組織ができるまで【第一話】

人材は会社の宝。そう思ってはいるけれど、何をどうすれば、より良い人材育成ができるのだろう。会社のミッションとビジョンを掲げれば「できあがり!」ではなく、それを社内に浸透させ、社員一人一人の幸せと方向を合わせていく。宇都宮市を中心に美容室やエステサロンなど約20店を展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さん(58)は、そんなファミリービジネスを実践しています。「強くて温かい組織」ができるまで。郡司さんの歩みを追いかけていきましょう。 「強くて温かい組織」の手掛かりは