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「経営者はわたし」厳格な母との対立が教えてくれたこと【第三話】

「ビューティアトリエの一番商品は社員たち」。宇都宮市を中心に美容室やエステサロンを展開するビューティアトリエグループ代表の郡司成江さんは1996年、自らが美容師として店に立つことはやめ、経営者としての力を磨いていく決心をします。そう思い至った郡司さんでしたが、人材育成の方針を巡って、創業者である母親との対立を経験します。

自分の仕事は「社員を輝かせること」

英国留学やパリコレでの経験を積み重ね、自分の腕で「ビューティアトリエを引っぱっていこう」と考えていた20代の頃の郡司さん。その強い思いとは裏腹に、店舗の売り上げは停滞し、同じ店にいる社員たちが頼りなく見えていました。

その一方で「みんな、私のこと、裏では何て言っているんだろう」と不安も尽きない。そんな空回りの日々の転機になったのは、「たまには現場を離れてみたら」という知人のアドバイスでした。

試しに店を離れ、社員たちに任せてみると、はっきり売り上げが増え始めました。今まで見たこともないくらいキビキビと自信を持って行動する社員たち。郡司さんは気負いのあまり、自分で何でも抱え込んだ結果、社員たちの意欲や能力を生かす機会を奪っていたのかもしれないと気づきます。

「ハサミを置こう」。自分の仕事は、カットで売り上げを作ることではなく、社員一人一人を輝かせていくことだ。郡司さんは他業種の人たちとの勉強会に積極的に参加して、人材育成やマーケティング、マネジメントの手法を磨いていくと決心します。

「あなたは甘い」人材育成を巡る母との路線対立

「ビューティアトリエの一番商品は社員たち」。それは、創業者で母親の田中千鶴さんが創業以来、ずっと言っていたことだった。その考えは全く同じだったが、人材育成をどう進めていくか、具体的な部分になると、対立することも少なくなかった。

郡司成江さん(左)と郡司千鶴さん(右)
郡司成江さん(左)と田中千鶴さん=本人提供

先輩の言うことを聞き、何年もの修業を経て、カットもパーマも着付けも接客も、すべてが完璧にできるようになって、ようやく「一人前の美容師」という千鶴さんの考え方は、時代に合っていない気がした。

誰にでも向き、不向きはあるのだから、すべてをこなせるようにするよりも、その人の得意な部分を伸ばしていく。例えば、カットはあまり上手でなくても、ネイルサロンで能力を発揮する人材、何か新しいことを始めるのが得意な人材もいる。社員一人一人が活躍できる「場」を作るのが、会社の本当の役割なのではないかと考えた。

それに、昭和の頃とは家庭や地域での教育も異なるから、厳しく接して鍛えようとしても、自分で考え、自分で動ける人材は育たないし、若い人たちが自分らしい人生を歩めるようにはならないだろう。

「あなたは社員を怒らない。甘いのよ」「怒ったって人は育たない。今は時代が違うでしょ」。千鶴さんとの言い合いは日常の出来事だった。

「母さんにだって引く必要はない」父の助言

「ビジネスは闘いだ。お前が自分の考えは正しい、きっと未来はこうなると思うんだったら、母さんに対してだって引く必要はない」

父、郡司操さん=郡司成江さん提供
郡司成江さんの父、田中操さん=郡司さん提供

アドバイスしてくれたのは、高校教諭を辞め、エステサロンを創業して経営者になっていた父親の操さんだった。「自分で闘って勝ち取るしかない。それは親不孝でもなんでもない」。そう言い切る操さんが一番の相談相手であり、心の支えになった。

ビューティアトリエを継ぐ。はっきり決意したのは、30代になり、徐々に新たな店舗建設を主導するようになってからだ。店舗建設にかかる費用は、金融機関からの長期借り入れで賄う。その契約書に今サインするのは、社長である母親だが、長い時間をかけて返済していくのは、後継者である自分の責任になる。

だから、妥協はできない。自分のイメージ通りの設計、設備、内装を調えるために自らデザイナーを探し、一つ一つ詰めていく。しかし、積み重ねた時間も経験も異なる千鶴さんとは、ここでも意見が食い違うことが多かった。

33歳のある日、千鶴さんに「この借金を返すのは私です。だから、私がやりたいようにやらせてほしい」とはっきり頼んだ。それでも、ビューティアトリエを一から起業し、創業者らしくリスクに敏感で完璧主義者でもある千鶴さんは、まだ社長を譲る気持ちにはならなかった。

先代との食い違いは「ありがたいこと」

自分が手掛けた店舗の売り上げがグループの上位を占め、自分が育てた社員が会社の屋台骨を支えるようになった。千鶴さんも毎年12月31日には「来年は社長を譲るわね」と言うものの、なかなか「その日」は来なかった。

社長就任時の郡司正江さん
社長就任時の郡司成江さん=本人提供

40代半ばになって、いよいよ本気で千鶴さんと向き合った。「私の年齢も考えてほしい。60歳近くになって会社を継いでも、もう社長なんてできない。私を後継者と考えているなら、会社を譲ってほしい」。怒られるかと思ったが、千鶴さんはあっさり「そうね」と答え、数カ月後には正式に社長を退任し、会長に退いた。

ファミリービジネスには、代替わりの難しさが付きまとう。親子だからこそ、正面切って話しづらかったり、逆に「いつでも話せる」と結論を先送りするうちに長い時間がたってしまったりする。他人同士だったら起きるはずのないほどの深い感情のもつれに発展することもある一方で、あっさりと打ち解ける瞬間が訪れることもある。

約10年間、千鶴さんは郡司さんの覚悟と力量を見極めようとしていたのかもしれない。郡司さんは、千鶴さんと考え方が食い違って苦しんだ時期について、こう考えるようになった。

「私のために、私とは違う意見を言ってくれていた。それでうまくいく部分、うまくいかない部分も含めて、先代経営者のやり方を見せてくれるからこそ、これからは『もっとこうした方がよい』と自分が気づくことができる。そう考えれば、やり方や考え方の違いはむしろ『ありがたいこと』になる」

先代経営者との関係で悩むファミリービジネスの後継者たちに、郡司さんからのメッセージだ。

<第四話に続く>

わたしのファミリービジネス物語」では、地元に根ざして、自らの力を磨くファミリービジネスの経営者や後継者、起業家の方々を紹介していきます。波瀾(はらん)万丈の物語には、困難を乗り越える多くのヒントが詰まっています。

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