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父と子の会社再生物語。急死した父が残した言葉【第二話】

製造業の「要」として戦後の経済成長を支えたものの、近年は安価な海外製品に押されて廃業するケースが多い鋳物業界。東京都八王子市の鋳物会社、栄鋳造所の4代目経営者、鈴木隆史さんは1999年、事実上の倒産に追い込まれた会社の再生を決意します。

栄鋳造所の鈴木隆史代表取締役社長=西夏生撮影
栄鋳造所の鈴木隆史代表取締役社長=西夏生撮影

そう覚悟を決めたものの、社長としての初仕事は、借金を巡る金融機関との裁判だった。別工場を運営していた親族との争いにも巻き込まれ、「自分の人生を呪うこともあった」。

その時、助けになったのは、副業として経営していたネット通販会社だった。鋳物で作ったオブジェのネット販売は軌道に乗らなかったものの、そこで身につけたノウハウを基に会社のホームページを開設すると、父敏雄さんが導入した最新設備「Vプロ」の技術が医療機器や半導体のメーカーの目に留まり、受注が舞い込むようになった。

当時は金型の原型をつくる木型、金型を作る鋳造、仕上げを行う加工を分業で行うのが当たり前だった。これをワンストップで手掛けようと考え、3D対応の設計システムを導入。当時は新婚だったが、システムの操作をマスターしようと徹夜を続けた。その結果、事業の拡大に成功。一時は3人にまで減った従業員を20人超に増やせた。

「後継者塾に行け」に反発

2007年、社長になって7年が経過していた。「ようやくオレの時代が来た」と思い始めた頃、敏雄さんが一枚の紙を手渡した。
地元・八王子市が運営する中小企業の後継者育成塾「はちおうじ未来塾」の参加申込書。大げんかになった。
会社を立て直し、「今さらそんなものに行く必要がない」という思いに加え、「後継者として、経営者としてまだ認められていないのか」と残念な気持ちになったからだ。しかし、敏雄さんに「地元に同世代や異業種の経営者仲間がいるか」と聞かれ、誰もいないことに気づいた

嫌々ながら通い始めた月1回の育成塾。自分の失敗談を話すと、同じ時期に入塾した後輩経営者らが身を乗り出してきた。自分にとっては忘れたい過去だったが、「これって財産なんだ。ムダじゃなかった」と思うようになり、次第にのめり込んだ。

卒塾式では、塾生がそれぞれ自分のビジョンをスピーチする。もともとは塾生だけが出席するはずだったが、急きょ各社の先代社長も呼ぶことになった。

「おやじに自分のビジョンなんて話したことがない。みんなの前で否定されたら嫌だ」と思い、直前まで黙っていた。しかし、敏雄さんに伝えると「行くに決まっているだろう」と即答された。中学と高校の卒業式は、数年前に亡くなった妻陽子さんに「任せきりだったから」という理由を聞き、鳥肌が立った。準備していた原稿と資料はすべて破棄した。

卒塾式当日に話したのは、両親への感謝の気持ち、経営者仲間との出会いを大切にして地域に貢献していく決意、そして自分が家業を継ぐ後進の手本になるという目標だった。「すごかったぞ」。敏雄さんから褒められたのは初めてだった。

東京・八王子の工業団地にある「栄鋳造所」=清水憲司撮影
東京・八王子の工業団地にある「栄鋳造所」=清水憲司撮影

父の急死「残された言葉」

その4カ月後、敏雄さんは交通事故で急死する。葬儀を終え、敏雄さんの知人にあいさつ回りに行くと、取引先の社長から「卒塾式で何を話したんだ」と尋ねられた。
敏雄さんは生前、卒塾式の発表に「『涙が出た』と言っていた」という。後継者として認めてくれていたんだ。心の底から、そう確信した瞬間だった。

(初出:毎日新聞「経済プレミア」 2020年12月22日)

<第三話に続く>

わたしのファミリービジネス物語」では、地元に根ざして、自らの力を磨くファミリービジネスの経営者や後継者、起業家の方々を紹介していきます。波瀾(はらん)万丈の物語には、困難を乗り越える多くのヒントが詰まっています。

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