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「まさか家業を継ぐなんて」不本意で継いだ鋳物会社4代目が世界に羽ばたくまで【第一話】

実家を継ぐつもりなんてなかった。そんなファミリービジネスの経営者は少なくありません。東京都八王子市の鋳物会社、栄鋳造所の4代目経営者である鈴木隆史さんも、最初は「不本意」で継いだ経営者の一人でした。

安価な海外製品との競争、急激な景気悪化に産業構造の転換……。何度も襲ってくる危機を乗り越える中で、鈴木さんは自分の力で「不本意」を「本意」に変え、今ではグローバル展開で会社を飛躍させて、地元の経営者仲間とともに、各地の中小企業を世界に羽ばたかせようとしています。

詳しくは「毎日新聞がファミリービジネス・メディアを始めます。孤独な経営者や後継ぎ、起業家を「つなぐ場」になります」を読んでいただきたいですが、このリファラバが生まれるきっかけをつくったのも、実は鈴木さんでした。地元に根ざしながら、視線は世界に向けていく。鈴木さんの物語が始まります。

薄暗い工場に流れる軍歌

「この会社に就職することは絶対ないだろうな」。幼心にずっと感じていた。働いていたのは60代を超えた職人さんばかり。薄暗い工場には時折、有線放送の軍歌が流れていた。長男だったが、社長の父敏雄さんから「継げ」と言われたことはなく、家業を継ぐなんて考えもしなかった。

栄鋳造所の鈴木隆史社長=西夏生撮影
栄鋳造所の鈴木隆史社長=西夏生撮影

やんちゃな男の子だった。中学までサッカー部だったが、高校ではパンクロックのバンドを始め、残りの時間はアルバイトにつぎ込んだ。バーテン見習やレジャー施設のプール監視員……。「将来のことは何も考えていない風来坊。何の野望も、何の目的もない青年時代だった」と振り返る。

高校3年の2学期が終わる頃、ホテルマンになろうと専門学校への進学希望を伝えると、担任の先生は「このままじゃ卒業できない。これから無遅刻・無欠席で、補習をしっかり受けろ」。寝坊して遅刻してしまわないよう、同じ状況だった仲間3人と深夜にファミレスに集合。そこから学校に通い、何とか卒業にこぎ着けた。

就職活動のタイミングを失ったこともあり、バイト先だったレジャー施設に就職。30歳ぐらいになったら旅行代理店か結婚式の企画会社を起業しようと考えていた。

突然の母の懇願

就職して4年目の夏。朝食を食べていると、母陽子さんがいきなり切り出した。「お父さんの会社を継いでほしい」。父敏雄さんはその頃、高齢化が進む社内に危機感を持ち、若い人たちでも鋳造ができる「Vプロ」という最新設備を導入したばかりで、ノウハウの蓄積に孤軍奮闘のさなかだった。

鋳物職人は5年、10年と経験を積んでようやく一人前になれる。最新設備の導入に、職人たちは「もう俺たちは必要ないのか」と疑心暗鬼になり、背を向けていた。工場で孤立する敏雄さんを「助けてほしい」という気持ちだったのは分かったが、「自分の人生は自分で決めたい」と突っぱねた。

敏雄さんは何も言わなかったが、思い詰めた陽子さんから毎日のように、時には涙を流して家業を継ぐよう説得された。半年後、「嫌だけど仕方がない」と受け入れた。

1996年、入社初日のことが忘れられない。敏雄さんが「うちのせがれだ。これからよろしく」と紹介したが、言われたのはそれだけ。誰も何も声をかけてこない。手持ち無沙汰で、工場の掃除を始めると、無言でほうきを取り上げられた。「仕事は背中を見て覚えろ」という意味だったかもしれないが、当時22歳。「これで人生、終わった」と、その夜は風呂場で泣いた。

1年たった頃、営業担当を任された。実際にはクレーム処理。製品に不具合があったら、取引先に駆けつけて苦情を聞く。「お客さんの前では『すみません』だけにしろ」ときつく言われ、苦情を書き込む小さなメモ帳とペンを渡された。報告のため、敏雄さんのところに行くと、メモを見るだけで何も言わない。メモから息子の成長を読み取ろうとしていたのだろうが、誰も答えをくれない状況に、自分で考えて動くしかないと思い始めた。

若者が就職してくれるような会社にしないといけない--。友人にアルバイトに来てもらい、会社の改善点を書き出してもらうと、A4の紙が裏表いっぱいになった。シャワールームを設置し、機械の音がうるさくて電話もできない事務所を工場内から別棟に移した。こうした提案を敏雄さんは一つ一つ採用していった。

鈴木隆史さんが経営する栄鋳造所=清水憲司撮影
鈴木隆史さんが経営する栄鋳造所=清水憲司撮影

その頃の主力製品は、ウレタンを自動車のシートの形に発泡させる金型だった。消費税率が3%から5%に上がる前の駆け込み需要に加え、軽自動車の安全規格の変更に伴い、自動車部品メーカーは金型を一新する必要があり、栄鋳造所は特需にわいていた。

倒産から再建へ「やります」

しかし、特需は99年に終わる。売り上げは「フリーフォールのように落ちていった」。別工場の業績不振も重なって、栄鋳造所は事実上の倒産に追い込まれる。家族会議に立ち会った知り合いの会計士に「再生する方法はある。ただし、お前次第だ」と迫られた。両親が見守る前で出した答えは「やります」。祖父が立ち上げた会社を潰すわけにはいかないという思いと、残った従業員3人の生活がかかっていると考えたからだった。

(初出:毎日新聞「経済プレミア」 2020年12月15日)

<第二話に続く>

わたしのファミリービジネス物語」では、地元に根ざして、自らの力を磨くファミリービジネスの経営者や後継者、起業家の方々を紹介していきます。波瀾(はらん)万丈の物語には、困難を乗り越える多くのヒントが詰まっています。

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