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「紅茶を飲めば茶農家の心がわかる」物語伝え人、和紅茶専門店店主・岡本啓さん

「自分にとって一番の幸せとは?」

今の仕事が「自分のやりたいことではない」と思っても、今まで歩んできた道を変えることって、ものすごく難しい。変えられないままズルズルといってしまうことも多いのではないでしょうか?

今回インタビューしたのは、佐賀市で日本初の和紅茶専門店を開業し、約20年がたつ「和紅茶専門店くれは」の店主、岡本啓さん

和紅茶専門店 店主・岡本啓さん
和紅茶専門店 店主・岡本啓さん

落語好き、格闘技好き、スケート好き。好きなことには全力投球。環境をどんどん変えていき、たどり着いた先にあったのが紅茶ブレンダーだった。国内でも、和紅茶に特化したブレンダーは珍しい。日本中の茶農家のもとを回りながら、物語を紡ぎ、お客様に伝えている。

自身が経験した交通事故やひきこもりなど、数々の苦難を乗り越えて、今がある。そんな岡本さんが日本初の和紅茶専門店を開業し、ビジネスを行う原動力とは一体、何なのだろうか。

佐賀発NAGARE編集部
この連載「NAGARE(ナガレ)」は、東京から佐賀に移住して、自分の「したい」を形にする「自分地域活性化」を行いながら、人と人のエネルギーをつなぐ「着火屋」こと山本卓が、地方で仕事をする〝人〟にフォーカスをあて、自分で自分の人生の〝流れ〟をつくり続けるための「原点」や「仕事をやり続ける原動力」を取材し、これからの地方ビジネスを考えるきっかけを発信していきます。

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始まり:基準がないからこそ和紅茶は面白い

和紅茶を入れてくれる岡本さん
和紅茶を入れてくれる岡本さん

——(山本)最初に、岡本さんの経歴を教えてください。

(岡本)佐賀市にある「和紅茶専門店くれは」というお店の店長をしております。福岡県八女市出身。2001年、この場所で、当時としては珍しい和紅茶専門店を開業し、20年以上がたちました。この建物は築100年以上で、佐賀県遺産に認定されたものです。生産者の方を訪ね歩き、厳選した国産の紅茶「和紅茶」を販売しております

——和紅茶って、あまり聞きなじみがないんですけど、どういったものなんですか?

(岡本)日本で作られている紅茶のことを和紅茶といいます。近年、認知度が上がってきましたが、私が紅茶の世界に入った20年以上前には、和紅茶という言葉はなかったんです。でも、その歴史は古くて、実は150年以上も前から日本でも紅茶は作られていたんです

佐賀市にある古民家を改装して建てられたお店の外観
佐賀市にある古民家を改装して建てられたお店の外観

——そんなに昔からですか?紅茶といったら海外のイメージがありました。

(岡本)世界130カ国以上で紅茶は楽しまれています。作り方や飲み方は、国それぞれで違っています。例えば英国では、ミルクは冷たいまま入れて飲むのに対し、インドではぐつぐつミルクで沸かします。練乳を使う国もあれば、砂糖を入れる国もある。「ミルクを入れるなんて邪道だ」という国や地域もあります。

——その国や地域の文化が紅茶には反映されているんですね!面白い!和紅茶の作り方も違うんですか?

(岡本)大きく言って茶葉を乾燥、発酵させて紅茶にする製法・工程は、どの国でもほとんど同じですが、気候や天候、国や地域の文化、食べ物が異なるので、どのぐらいの時間をかけて発酵させ、どんな紅茶に仕上げるのかといったところで、国ごとに違いや特徴が出てきます。日本の緑茶の場合は、ちゃんと決められています。コンテストがあって「おいしさの基準」が設けられています。

しかし、紅茶の世界には絶対的な基準は存在しません。英国の紅茶が一番良いとか、インドの紅茶が良いとか、それぞれの国が一番おいしいと思っている。国によって目指す「おいしさ」がそれぞれあるんですよ。

インドで紅茶を学んできた人、中国で紅茶を学んできた人、日本のお茶をずっとやってきた人、お茶に対する考え方が全く違う。紅茶に正解はないんです。その国や地域に行って、その国のお菓子を食べながら飲む紅茶が一番おいしい。楽しみ方が非常に幅広いのが紅茶の世界の魅力なんです。

転機:交通事故、そしてうつ病。「自分が楽しいことをしたい」

次から次へとエピソードが出る。噺家さんのような岡本さん
次から次へとエピソードが出る。噺(はなし)家さんのような岡本さん

——和紅茶の世界に入るきっかけとは、何だったんですか?

(岡本)これまで私は、学生時代にプログラマーを目指して勉強したり、建設現場で働いたり、新聞配達をしたり、いろんなことをやってきました。そして、和紅茶ブレンダーになる前はトラックの運転手でした。

仕事は嫌いではありませんでした。でも「この仕事、一生は続けられないな」と思っていました。休みが3カ月間ないことは当たり前でしたし、1日18時間は運転。睡眠はトラックで、という日々が続いていました。自分では気づかないうちにおかしくなっていったんです。

「よし、出発だ」とエンジンをかけ、走り始めた直後、居眠りをしてしまっている自分がいました。もう体が拒否しているというか、心が拒否していたんだと思います。

ある日、仕事を終え、趣味でやっていたアイススケートの練習に行こうと準備をしていると、会社から「次の現場に行ってくれ」と電話がありました。「仕方ないな」とトラックを走らせて15分後、居眠りをしてしまいガードレールに直撃。人にけがをさせることがなかったのでよかったのですが、トラックに乗った瞬間、意識が飛んでしまうような出来事が多くなってきました。「このままだと、俺はいつか事故で死ぬんだろうな」と考えるようになってきました。

そんなある日、大きめな事故を起こしてしまいました。フロントガラス越しにおじいちゃんがバーンと飛んで、頭から地面に落下していくのが見えました。自分も意識が飛んでいたので、どうしてそうなったのか覚えていないんですが、急いで車から降りておじいちゃんのもとへ駆けつけると、「これ、保険下りるかな」と一言。私もとっさのことで「たぶん保険下りると思います」と言って。

——おじいちゃんは大丈夫だったんですか?

(岡本)病院からは「切り傷ですね」と。あんな大惨事になっていたけど、全治1週間もないぐらいのけがで済んだんです。私もばんそうこうを貼って、その日は帰宅。その時に「ここで決断しなさい」と、神様が最後にくれたチャンスなのかもしれないと思ったんです。どんなに寝てもトラックに乗った瞬間に睡魔が襲う。今思えば、「うつのような状態だったんだな」と思います。

すぐに仕事を辞めました。ただ、交通事故が原因で引きこもりみたいになってしまいました。これからどうするのか全く決めていないまま仕事を辞めたので、ずっと「自分がやって面白いことってなんだろう」と考える日々が続きました。

落語家とか、格闘家とか、プログラミングとか、いろいろ考えたんですが、人としゃべれる仕事をしたいなと思って、老後の趣味程度で考えていた紅茶を仕事にしようと決断しました。あの事故がなければ、今の仕事をすることはなかったです。

原動力:自分が楽しいと思うことしかやりたくない

岡本さんが厳選した和紅茶が並べられている
岡本さんが厳選した和紅茶が並べられている

——趣味でやっていた紅茶を、どうやって仕事にしてきたんですか?

(岡本)まずは大手メーカーさんに「紅茶って、どこから仕入れたらいいのか教えてください」と聞き始めました。そうして、仕入れ方などを勉強していきました。初めの頃は、商店街にあったチャレンジショップで紅茶屋を出店しました。1日の売り上げが800円という状況だったので、私は「10年後に食えるようになれたらいいな」ぐらいで、当時はあっけらかんと考えていましたね。

そんなある日、私が開催した紅茶教室にきたお客さんから「最近、佐賀でも紅茶を作っている茶農家さんがいるらしいですよ」って話を聞きました。日本でも紅茶を作れることは知っていたんですが、新聞記事を読んでみると「茶農家さんって面白そうだ!」と思ったんです。次の日、すぐに新聞記事に載っていた茶農家さんを訪ねに行きました。

——すごい行動力ですね!実際に茶農家さんと会ってみて、どうだったんですか?

(岡本)その時に初めて日本の紅茶を飲みました。トルコの紅茶でもない、中国の紅茶でもない、インドでも、スリランカでもない。初めて飲む和紅茶の味に、すごい衝撃を受けました。そして、日本各地にいる茶農家さんに会いに行く旅に出ました。紅茶だけでなくて、行く先々で出会った茶農家さんのことにも興味が湧いてきました。紅茶を作っている人はかなり変わり者が多いんですよ。

——変わり者が多い?

(岡本)お茶の生産をされている地域では、緑茶などのお茶を作って頑張っていこうと、みんなが団結している時に「おれは紅茶を作る」と言い出すわけですから、周りからしたら嫌われ者になってしまいますよね。

でも、そんな人の方が数年後、地元の自治会長とかになっているんですよ。紅茶の技術的なことは、当時の自分は分からなかったですが、その茶農家さんの生き方とか、なんで紅茶を作り始めたのか、それぞれの物語をものすごく面白く感じたんです

岡本さんが厳選した和紅茶が並べられている
岡本さんが厳選した和紅茶が並べられている

——岡本さんは紅茶の説明をする時、茶農家さんのエピソードをよく話していますよね。

(岡本)紅茶って国や地域によって違いがあるという話をしましたが、それを作る茶農家さんによっても違うんです。そして同じ味も一つもない。


日本の場合、茶葉から紅茶を作る工程は、その茶農家さんのフィーリングで進められます。「紅茶は渋いのが良い」と思ったら渋いものを作りますし、夫婦げんかの後に作られた紅茶は、そんな味になる。ギラギラした人が作る紅茶はギラっとした味になるし、野心家が作ると野心的な紅茶ができる。紅茶にはその茶農家さんの気持ちが出る。そこが日本の紅茶「和紅茶」の面白さなんですよ!

——岡本さんにとって良い紅茶って、何ですか?

(岡本)本人が作りたいと思った味と、できた時の味が合致していることだと思います。基本的に、自分は人に対して鈍感なのですが、紅茶を飲めば、その人が何を考えているのかわかる。普通に話すより、お茶の方が分かりやすい。価格や品質という以上に、茶農家さんの物語が私の中では重要なんです。

紅茶の淹れ方は、茶葉によって違いがある。
紅茶の淹れ方は、茶葉によって違いがある。

——茶農家さんの物語を聞きながら飲むと、確かに紅茶自体の価値がグッと上がってくるのが感じられます。

(岡本)私が紅茶ブレンダーを名乗っているのは、その茶農家さんが作る紅茶には、どんなお菓子が合うのかを提案するほかに、茶農家さんもブレンド専門家の意見を聞きたいことがあったり、売り方が分からなかったりすると思うからです。その中で、私が売りたいな、人に勧めたいなと思った紅茶だけを販売しています。

だから時間を作って茶農家さんと交流し続けるんです。「今年の紅茶、おいしくなかったよ」ってはっきりと言うこともあります。何が原因だったのか、いっぱいしゃべって、いっぱい考えて、改善していく。そうして作られた紅茶がお客さんに届いたときに「『くれは』で買う紅茶はおいしい」って言ってくださることがうれしくてたまらないんです。

——和紅茶専門店として、ここまで大きくされてきた岡本さんの原動力って一体、何なのですか?

(岡本)やっぱり楽しくないと続かない。自分の場合は、楽しくないとやらない人間なんです。昔から好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなことは全然できなくて、好きなことには没頭していくタイプでした。興味あることしか頭に入らないんですよ。

和紅茶に興味を持ち、人に興味を持ち、その物語を伝えることが、自分にとって楽しい。自分が楽しいと思えることをしたい。それが原動力です。まあ、私はどっちにしても、好きなことをやるしかできない人間ですからね。

地方でビジネスをする:茶農家の「物語」を伝える

岡本さんの執筆した本を読んでみると、和紅茶の深さを知れます
岡本さんの執筆した本を読んでみると、和紅茶の深さを知れます

——紅茶ではなく和紅茶にこだわった理由は?

(岡本)交通事故を起こしてしまったことで一時、引きこもりになってしまった自分ですが、人と話すことは大好きだったんです。人が来てくれるようなお店にするにはどうすればいいかを考えていました。

紅茶って、コーヒーよりもはるかにマイナーなものだから、普通にやっても食えるようにならないだろうなと。じゃあ、逆に東京からでも「『この店にあえて来ました』という人がいるような特別な店にしないとだめだ」と思ったんです。そこで国産の紅茶が知られる前に「和紅茶で日本一になってやろう」と和紅茶を選びました。

——岡本さんがこの仕事を続けていく目標や展望があればお聞かせください。

(岡本)日本全国にある茶農家さんを回る旅をした時に、私は昔からおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くことが好きだったことを思い出しました。茶農家さんのお手伝いをしたり、暮らしをともにしたりしていくことで気づいた「紅茶の本当の価値を伝えていきたい」です。

——本当の価値とは一体、何ですか?

(岡本)私の仕事は、販売する商品を作ることではなく、買ってもらうためのストーリーを売っています。茶農家さんも本当は作りたいから作っている。周りが「紅茶はこうあるべきじゃないか」と決めつけるべきではないと思う。だけど、食っていかなくちゃいけないから悩む。みんな、不安なままやっているんです。

自信満々に「うちの紅茶はおいしいので『くれは』で売ってください」って持って来る方もいます。でも60点なんです。別においしくないわけではないんです。でも、売り手として感情が乗せられない。

口下手でもいい、その人の人柄が見えないと紅茶の本当の楽しみ方ができないと思っています。みんな特別な時間を過ごしたくて紅茶を飲むわけですから。私は、紅茶の中にあるストーリーを飲んでいただきたいと思っています。

少し飲んだだけで、満足感を得ることができました
少し飲んだだけで、満足感を得ることができました

——岡本さんと話していて和紅茶の奥深さが分かった気がします。地方でビジネスをするために大切にしていることがあれば教えてください。

(岡本)好きなことをトコトンやることじゃないでしょうか。茶農家さんも私も、好きなことをトコトンやっていく。餅は餅屋という言葉があるように、茶農家さんはお茶を作るプロ、私はお茶を作ることはできない。だけど、売るためのストーリーを伝えることはできる。

それぞれの役割を好きな分野で突き詰めていくことが、地方で仕事をするときの大切なことだと思います。地方には地方の戦い方を考えて実行できるのが面白いんです。

アドバイス:つらいことはすべて、幸せになる前フリだと思ってみて

衣装にもこだわりがあって、お店の雰囲気も最高です。カフェとしても楽しめます
衣装にもこだわりがあって、お店の雰囲気も最高です。カフェとしても楽しめます

——これから地方で仕事をしようと考えている読者にアドバイスをお願いします。

(岡本)自分は昔プログラミングの仕事をしたいなと思っていましたが、結果、自分のやりたいことをやっていたら紅茶屋になっていました。人生ってそんなものだと思います。これをやるんだって決めつけて、しがみついても、それは長続きしない。

私は、今までやってきたことが無駄になったことはありません。プログラミングでゲームを作りたいと思っていたんですが、それが今、紅茶とゲームのコラボの話をいただきますし、プログラミングをする時の考え方が、紅茶のブレンド比率を決めることに似ているとか。今までやってきた点が線につながっているのが今の私の形です

日常から「何をやってもだめだ」とストレスを感じ、自分に嘘をついて、心に蓋(ふた)をして壊れてしまう前に、変えていく勇気を持ってもらいたい

仕事は人生の多くを占めることです。自分のステータスや周りの目を気にせずに、やりたいことをやってみてはいかがでしょうか。今までやってきたことに無駄なことはないと思いますので。

——確かに周りの目を気にするあまり一歩が踏み出せないことってありますもんね。気にせずに生きるために岡本さんが心掛けていることはありますか?

(岡本)あえて自分に似合わないことをやろうと思っていますね。「お前が紅茶屋さん?」って言われるぐらいが面白いなと。逆境に身を置くことで、自分が浮いている姿を想像するのが好きなんです。苦手なことほど、勉強できることがたくさんある。それが面白いんです。

自分自身を楽しませることができれば、周りの人を喜ばせることができる。だから、あなたが笑顔でいることが一番大切なんじゃないかな。つらかったらすべて、幸せになる前フリだと思って楽しんでくださいね。

岡本啓(おかもと・ひろし)
紅茶ブレンダー

1973年8月生まれ。福岡県八女市出身。幼少期から運送業だった親の仕事を手伝いながらビジネスを見てきた。エンジニアを目指し大阪に上京。新聞配達やトラックの運転手を経て、2001年に紅茶専門店を開業。国産の紅茶の魅力にひかれ、日本全国の茶農家に会う旅を経て、和紅茶専門店へと転換。和紅茶の楽しみ方など講演会を行いながら、和紅茶ブレンダーとして商品開発なども手掛けている。

ライター:山本卓(やまもと・すぐる)
大阪府高槻市生まれ。高校卒業後、俳優、劇作家、演出家、イベント制作、TVディレクターを経て2019年、佐賀県に移住。佐賀県地域おこし協力隊として活動しながら、WEBサイト編集や動画制作部として活動。21年1月、地域活性を目指す「合同会社LightBear」を設立。佐賀県内の自治体や地域の方々向けの動画制作やコンサルタント業など情報発信に力を入れ、さらなる地域活性化に向けてシェアオフィス事業など、さまざまなプロジェクトを展開している。

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