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起業志望の青年が農業を「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3Kにするまで

湘南・藤沢の地に、農業をこれまでの「きつい・きたない・危険」の3Kから、「かっこよくて・感動があって・稼げる」の新3Kにしたいと奮闘している家業経営者がいます。みやじ豚社長の宮治勇輔さんは、父昌義さんから事業を引き継ぎ、弟大輔さんとともに養豚業を営んでいます。宮治さんは養豚業を法人化し、ミシュランの星付きレストランで、みやじ豚を使ったメニューとして提供されるほどのブランド豚に育て上げました。そんな宮治さんの挑戦の記録を報告します。

みやじ豚社長の宮治勇輔さん=神奈川県藤沢市で、永井大介撮影
みやじ豚社長の宮治勇輔さん=神奈川県藤沢市で、永井大介撮影

学びの日々…「起業家になりたい」

湘南の海からの風が流れ込む神奈川県藤沢市北部。湘南といっても、一般的にイメージされるような海沿いの風景はなく、どこまでも田園風景が広がる地域だ。勇輔さんはこの地の農家の4代目として生まれた。

「家のはす向かいにある本家は江戸時代からの農家でした」。養豚業は野菜農家だった祖父が始め、父昌義さんの代で専業となった。ここ神奈川県中央部は養豚が盛んな地域。昌義さんは周囲の4軒の農家と共同で大きな養豚場を経営する傍ら、個人で小さな養豚業を営んでいた。

宮治さん一家の記念写真。前列右が勇輔さん=勇輔さん提供
宮治さん一家の記念写真。前列右が勇輔さん=勇輔さん提供

勇輔さん本人は養豚業を継ぐつもりは一切なかった。「家に帰ってきたおやじはなんだか臭い。この仕事はやりたくない、もっと格好の良い仕事がしたいと思っていた」。大学は慶応大学総合政策学部で人事組織について学んだ。

子供のころから読書家でもあり、歴史小説をむさぼるように読んだ。中国の三国志、日本の戦国時代の織田信長、徳川家康といった英雄譚(たん)、ゲームでも人気シミュレーションゲーム「信長の野望」にどっぷりとはまった。

「男に生まれたからには天下を取りたい。将来は一国一城のあるじになろう」。そう心に決めた少年時代だったが、「今の時代、隣の農家に攻め込んで畑を占領するわけにもいかない。自然と起業して会社の社長になろうと思うようになった」。

報道陣に囲まれるライブドアの堀江貴文社長(当時)=2004年9月、小座野容斉撮影
報道陣に囲まれるライブドアの堀江貴文社長(当時)=2004年9月、小座野容斉撮影

30歳までに会社を立ち上げることを決意した勇輔さん。大学生だった1990年代後半から2000年代前半は、ソフトバンクの孫正義氏、楽天の三木谷浩史氏、ライブドアの堀江貴文氏ら、若手経営者が率いるIT企業が急成長していた時代だった。

「いつかは自分もそんな若手経営者と肩を並べる存在になる」。そのためには会社を立ち上げる仲間が必要と考え、就職活動ではベンチャー企業の入社試験ばかりを受けていた。結局、就職先は大手人材派遣会社の「パソナ」を選んだが、当時のパソナは起業家マインドを持った人たちが多く集まる企業だった。

2002年。社会人1年目は午前8時出社だったため、毎朝4時半に起きて起業に向け、ビジネス書を読み込んだ。2年目になると午前9時出社になり、起きる時間は朝5時半になったが、土日は起業志望者が集う場に出向き、ともに会社を立ち上げる仲間を求めてネットワーク作りに励んだ。

勉強のための本を求めて本屋に通い、自分の琴線に触れる本を選んでいくうちに、気がつけば手元にある本は農業に関するものが多くなっていた。当時、旧来通りのやり方をしている農家が多かった。「新たな仕組みを作り上げることができれば、成功する確率は高いのではないか」。次第に養豚業を継ぎたいと思い始めた。

「オレが農業を変える」新3Kという啓示

宮治勇輔さん(左)と南部靖之・パソナグループ代表=2006年ごろ、勇輔さん提供
宮治勇輔さん(左)と南部靖之・パソナグループ代表=2006年ごろ、勇輔さん提供

朝の勉強時間には、ストップウオッチを用意し、5分間で自分がやりたいことを書き出していた。最初は「ロマネコンティが飲みたい、フェラーリに乗りたいと、ろくなことが書けなかった」。だが、ある日、「3Kと言われる農業を『きつい』『きたない』『危険』から、『かっこよくて』『感動があって』『稼げる』にオレが変えていく」という言葉を書き殴った。

それは、まるで「神の啓示のようだった」

正月休みに1人暮らし先から実家に戻り、昌義さんに自分のビジョンを熱く語った。最初は「お前の言っていることは地に足が着いていない」「理想論だ」と取り合ってくれなかったが、夏休み、正月休みと帰省のたびに何度も説得した。「これからの農業は生産からお客さんの口に届けるところまで、一貫してプロデュースするのが農業なんだ。オレがCEO(最高経営責任者)をやるから、おやじはCOO(最高執行責任者)になってくれ」

「そんなに言うのなら、一度やってみればいい」。昌義さんの了解を取り付け、養豚業を継ぐことになった勇輔さん。4年3カ月勤務した会社を退職して、2006年9月、それまで昌義さんが個人で経営していた養豚業を引き継いで法人化した。一国一城のあるじとして新たなイノベーションを起こす。強い思いを胸に、勇輔さんは養豚業界に乗り込んだ。

食肉流通の制約を破れ!「みやじ豚」のブランド化戦略

「みやじ豚」の宮治勇輔さん=本人提供
「みやじ豚」の宮治勇輔さん=本人提供

かねて事業構想を練っていた勇輔さんは、以前からある、地域の「銘柄豚」という枠組みを脱し、自ら育てた豚を「みやじ豚」として一本立ちさせたいと考えるようになった。

そう思い至ったのには、理由がある。大学2年生の頃、実家の豚肉を使って、自宅の庭でバーベキューをしたことがあった。集まったのは大学の野球サークルの仲間たちだ。

「こんなにおいしい豚肉、食べたことがない」。感激しながら、豚肉を次々と口に運ぶ友人を見て、「ウチの豚肉ってそんなにおいしかったんだ」と初めて気づかされた。

しかし、「どうすれば手に入るの?」と聞かれて、頭が真っ白になった。「どこで買えるのだろう」。それまで考えたこともなかった。家族に尋ねたものの、父昌義さんでさえ説明できなかった。

自分の家で育てているのに、味も分からなければ、どこで売っているのかも分からない。勇輔さんに強烈な印象を残した。

自分の育てた豚はどこに行く?

通常、豚肉は地域の銘柄豚として出荷される場合、周辺の農家の豚に混じってスーパーの店頭に並ぶことになる。生産した養豚農家の名前は消され、生産農家でさえも、スーパーで売っている豚肉の切り身が自分の育てた豚かどうかは分からない。

みやじ豚で飼育されている豚=同社提供
みやじ豚で飼育されている豚=同社提供

そこに養豚農家の大きなジレンマがあった。ある程度の流通量を維持するために、地域の銘柄豚としてまとめた上で店頭に並べる。豚の血統もエサもそろえて育てているが、どうしても農家によって味の違いが生じてしまう。

いつもおいしい豚を育てられる農家があれば、そこに注文が集中してしまい、銘柄豚としての流通は成り立たなくなってしまう。多くの生産農家を守るための仕組みだが、同時に自分たちが育てた豚なのに、誰が食べてくれているのかさえも分からない状況になっていた

勇輔さんは子供の頃、父昌義さんが「オレが一番良い豚を育てているのに」とこぼしていたのを覚えている。自分たちが育てた豚肉を食べたお客さんが「おいしい」と言ってくれているかも分からないし、褒められもしない。それでは仕事のやりがいは得られない。

「みやじ豚」を独立したブランドにするためには、まずはお客さんに食べてもらわないといけない。「実家を継いだらバーベキューを定期的に開催しよう」。そんな構想を盛り込みながら事業計画書を作成した。

バーベキューでは、大人一人あたり4000円を支払ってもらう。30人集めれば売り上げは12万円になる。そこから経費を差っ引いたとしても手元に3万円が残る。実家暮らしだから家賃と食費はタダだし、これだけ手元に残れば生きていける。「やってみるしかない」。それが結論になった。

弟との役割分担「自分はプロデューサー」

パソナを退職した勇輔さんが神奈川県藤沢市の実家に戻ったのは2005年。ところが、そこには2カ月前に大手外食チェーンを辞めて実家に戻り、父を手伝っている弟大輔さんの姿があった。勇輔さんは「さすがに2人分の給料を捻出するのは厳しいだろう。オレの居場所がない」と途方に暮れた。

「みやじ豚」の宮治勇輔さん(右)と弟の大輔さん=勇輔さん提供
「みやじ豚」の宮治勇輔さん(右)と弟の大輔さん=勇輔さん提供

「長男が後を継ぐものだと思っていたけれど、今の時代は早いもの勝ち。家業後継者の集まりでは『継ぐ気があるのならば、先にツバを付けておいた方が良い』なんて話をします」と笑う勇輔さん。弟の大輔さんからはその後、「学生時代、兄貴からは『養豚なんて継がない』というオーラがあふれていた。後を継ぐとしたら、自分なのだろうなと思っていた」と明かされたという。

兄弟の役割分担をどうするか。結局、勇輔さんが流通・販売戦略とマーケティング戦略を担当することになり、弟大輔さんと父昌義さんが豚の飼育を担うことになった。「私はみやじ豚のプロデューサー、AKB48を売り出した秋元康さんのような存在になろう。そんなイメージでした」

消費者と直接つながる「バーベキュー・マーケティング」

バーベキューに訪れた客と談笑する宮治勇輔さん=本人提供
バーベキューに訪れた客と談笑する宮治勇輔さん=本人提供

従来の地域の銘柄豚という枠組みを脱却し、自分たちの育てた豚肉を「みやじ豚」として食べてもらう。バーベキューを定期的に開催すれば、みやじ豚のおいしさを直接、お客さんに知ってもらうことができ、食べた感想を直接聞くこともできる。さらには、価格設定も自分でできる。

2005年7月に神奈川県藤沢市の実家に戻ると、バーベキューを開催する準備に入った。といっても、トングや鉄板の準備をしたわけではない。向かった先は、パソコンショップだった。そこで2万円の名刺管理ソフトとメール一斉配信ソフトを購入した。実家に戻って初めて行った事業への投資だった。

トントン拍子の口コミ集客

実家に戻る前、パソナに勤務していた頃から、土日は実践型インターンシップなどを提供するNPO法人「エティック」に出入りし、起業志望者の人脈を広げていた。

こうしたネットワーク作りで交換した名刺や、友人の名刺を名刺管理ソフトに登録すると、850人分の見込み客リストができあがった。自身の近況とバーベキュー開催を伝える文章を添えたメールを一斉配信で送った。

「皆さんお久しぶりです! 僕は会社を辞めて実家に帰り、親父の跡をついで養豚農家になりました。1次産業をカッコよくて感動があって稼げる3K産業にしていきたいと思っていますので、ぜひ応援してください! 秋にバーベキューをやるので良かったら、うちの豚肉食べに来てください!」

1回目のバーベキューには約30人が集まった。月1回のペースで行ったバーベキューは、3回目には参加者が60人を超えた。丹精込めて育てた豚肉をおいしそうに食べるお客さんをみて、父昌義さんもうれしそうだった。

バーベキューで提供されるみやじ豚のおいしさは口コミで広がった。「豚だけに『トントン拍子』でお客さんが増えていった」と笑う勇輔さん。「これならばイケる」と自身が考えたビジネスモデルの手応えをつかんでいた。

みやじ豚にとって、バーベキューは顧客とつながる重要なマーケティングの場だ=同社提供
みやじ豚にとって、バーベキューは顧客とつながる重要なマーケティングの場だ=同社提供

翌年には「株式会社みやじ豚」を設立、バーベキュー予約サイトも立ち上げた。大人1人3時間4600円の価格設定で、3カ月待ちは当たり前だ。

家族の信頼関係が生む「生産・販売分業」

宮治家の養豚は分業制だ。勇輔さんが販売戦略とマーケティング戦略を担い、弟大輔さんと父昌義さんが豚の飼育を担当する。生産頭数は月約100頭で、従業員は宮治家以外では正社員1人にパート2人。勇輔さんは「零細養豚農家です」と話すが、味には絶対の自信を持っている。

血統は3種類の品種を良いところを掛け合わせた「三元豚」を使用。ただ品種を掛け合わせるだけでなく、おいしい豚肉になるように交配の際に親豚を徹底的に吟味する。さらに、エサにも徹底的にこだわりを持っている。

また、狭い豚舎に豚をすし詰め状態で育てることが多いが、みやじ豚では兄弟の豚を一つのグループにして、ゆったりとした小屋で育てることで豚にストレスがかからない育て方にも取り組んでいる。その結果、うまみ成分であるグルタミン酸の含有量は、一般的な国産豚の2倍もあり、脂身も甘く、生活習慣病を防ぐオレイン酸の含有量の多い豚が育つことになる。

「豚の育て方には一切、口を挟みません。細かいことを僕が言い出したら、弟や父にとって邪魔で仕方がないでしょうから」。家族の信頼関係の上に成り立っているみやじ豚は、その味が評価され、2008年には農林水産大臣賞を受賞した

流通逆転「売ってから仕入れる」

月に1回のバーベキューと同時に、流通のイノベーションにも取り組んだ。出荷された豚は、同県厚木市の食肉処理場に運ばれて枝肉となるが、宮治さんはここに出入りしている問屋に着目した

みやじ豚で開かれているバーベキュー=同社提供
みやじ豚で開かれているバーベキュー=同社提供

「二十数社あった問屋のリストを入手し、ウチの豚を『みやじ豚』として売り出してくれないか、直接アプローチしました。最初は、そうは問屋がおろしてくれませんでした」。従来の商流を壊したくない多くの問屋が、この提案に否定的だったのだ。

しかし、インターネットの普及に伴い、生産者と消費者が直接の接点を持てるようになり、経済誌には「問屋不要論」の見出しが躍った。こうした危機感から、提案を受け入れる問屋も現れ始めた。

新たな流通は、こんな具合だ。まず問屋に枝肉を販売し、ストックしておいてもらう。飲食店や個人客から「ロース2本、バラ2枚」といった注文を受けた段階で、問屋から買い戻し、みやじ豚として注文先に発送する。

仮に、注文が集まらない時期があっても、問屋からそのまま銘柄豚として通常の豚肉の流通に乗せてもらえばよく、自らは売れ残りのリスクを負わない。「仕入れてから売るのではなく、売ってから仕入れる。この仕組みで肉の職人さんを雇わず、自前の販売店も作らず、ノーリスクでみやじ豚を販売できるようになりました」

ファミリービジネスには「自分の情熱のすべてを注ぐ価値がある」

後進の家業経営者・後継者に講義する宮治勇輔さん=本人提供
後進の家業経営者・後継者に講義する宮治勇輔さん=本人提供

「生産からお客さんの口に届けるまでを一貫してプロデュースする」。農協を通じて問屋に枝肉を納品し、飲食店などから注文を受けた段階で、問屋から買い戻す新たな手法を構築した流通イノベーション。バーベキューを定期開催してみやじ豚を実際に食べてもらい、口コミやネット交流サービス(SNS)を通じてファンを増やしていくファンマーケティング――。しかし、こうした革新の礎になったのは、本家から数えれば江戸時代から続く宮治家の農業だ

代々の土地で、続く家族経営。規模の拡大を望んできたわけではない。父が挑戦してきたおいしい豚肉作りを弟の大輔さんが引き継ぎ、勇輔さんが担ったのは、その生産物から最大の効果が得られるようにする仕組み作りだった。みやじ豚は、兄弟が継いでから3年で売り上げが5倍に伸びた。

宮治勇輔さんの父昌義さん(左)と弟大輔さん=勇輔さん提供
宮治勇輔さんの父昌義さん(左)と弟大輔さん=勇輔さん提供

「ファミリービジネスは伸びしろがたくさんある」。それが勇輔さんの実感だ。

縮小する農業人口「後進を応援したい」

日本の農業人口は減少の一途をたどっている。農業を主な仕事とする「基幹的農業従事者」は2020年に約136万人。5年前に比べて40万人近くも減少した。若者の新規就農は増えてはいるものの、都会で農地を持たずに育った人が農地を借りようとしても、貸してくれる人を探すだけで壁にぶつかる。

何とか土地が見つかり、農機具を手に入れ、ビニールハウスなどの設備投資を行っても、1年目から商品になる農作物が収穫できる保証はない。下手をすれば借金をしているにもかかわらず、収入のない状態が何年も続く恐れもある。

だからこそ、「農業に興味があれば、農家の小せがれが実家に戻って農業を継ぐ。これほど合理的なことはない」と勇輔さんは力説する。会社をやめ、実家に戻った時も「家賃がタダで、食費もかからなかった。何よりも土地があった。技術指導はオヤジがやってくれるし、地域の人も子供の頃から知っている人ばかりで、協力してもらえた。農業を始める上で必要なものが、すべてそろっているわけです」。

「みやじ豚」を経営する傍ら、農業を継ぐかどうか悩んでいたり、継いだとしてもどう進めるべきか迷っていたりする若者を応援するNPO法人「農家のこせがれネットワーク」を09年に立ち上げた。農家の後継者や後継候補者が集まる交流会を全国各地で開催し、勉強会や農業体験ツアーなども行っている。

「継いでからが自分の人生」家族・地域への決意

さらに、支援を必要とする後継者は農業だけではないと考え、17年に「家業イノベーション・ラボ」を立ち上げた。すべての産業の後継者を応援すべく、時間を見つけては、講演などで全国を飛び回ってきた。

バーベキューで「みやじ豚」を焼き、来場客に提供する宮治勇輔さん=本人提供
バーベキューで「みやじ豚」を焼き、来場客に提供する宮治勇輔さん=本人提供

家業は、その家に育った人にとって、幼い頃の生活や思い出と一体となっているケースが多い。工場で機械を眺め、製品に触れる。農業の場合は、田んぼや畑で虫やザリガニを捕まえたりしながら、働く両親や祖父母の背中を見て育っていく。

後継者にとっての原風景である家業。勇輔さんは「家業には、自分の情熱のすべてを注ぐだけの価値がある」と断言する。「家族や地域とのつながり、自分自身を形作ってきたものが、そこにはある。家業後継者にとっては、継いでから自分の人生が始まる。そんなふうに言えるかもしれません」

(初出:毎日新聞「経済プレミア」2021年3月9日~30日)

わたしのファミリービジネス物語」では、地元に根ざして、自らの力を磨くファミリービジネスの経営者や後継者、起業家の方々を紹介していきます。波瀾(はらん)万丈の物語には、困難を乗り越える多くのヒントが詰まっています。


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